豪華客船と不安思考

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豪華客船に乗るには、発想の転換が必要だ。色々と考えて老後が不安になりすぎると、貯金ばかりに走るし、何でも楽しいことはどんどんするぞに傾いたら、貯金はゼロになる。

不安になり過ぎず、本当の使いどきに、一魂投球するには、随分勇気がいる。人が不安になるとはどう言うことか、少し書いてみる。

嫌なことを体験すると、極端に人は不安になる。どの観点で嫌なことと考えるかが問題となる。例えばわたくしのTwitterネーム「サイオウがウマ」だが、これは「人間万事塞翁が馬」から取ってる。

城門番のお爺さんの馬が逃げる→お爺さんが落ち込む→もう一頭の馬を連れて戻る→増えたのでお爺さん喜ぶ→ある日息子が馬から落馬して足を骨折する→お爺さん落ち込む→戦争が始まるが怪我のために行かなくて済む→お爺さん喜ぶ

この話は、落ち込んでいた事項が、のちに喜びにつながっています。なので、一見落ち込むことが起きた時には、疑うべきだとわたくしは考えます。

自分が愛する人が、他界した時は、事情が異なるけど、それ以外は、落ち込むにアタイしないと解釈できるのです。

あと、どの本だか、TVだか、記憶がないけど、印象的な話があって、動物の中で、『第二の矢を放つ』のは、人間だけだそうです。

この『第二の矢』とは何かと言うと、動物は例えば怪我をした時に、『痛いなぁー』で終わるとして、人間ではどうなるかと言うと、『このまま治らないかも』とか、『悪性だったらどうしよう』とか、『この後歩けなかったら、今の仕事は続けられないよ』とか考えるとしよう。

これを『第二の矢』と呼び、不安が心を攻撃して、ただでさえ弱ってる体に、心にもダメージを与えるのが、かなり良くないらしい。(治るものも治らなくなる)

わたくしの父が典型的動物タイプなので、心配しなさすぎと、いつも母が怒り出すが、科学的には、父の発想の方が病気になった後の考え方は正解らしい。(第二の矢を放たないので)

予防で言えば、母に軍配が上がる(心配性過ぎるが確かに何度も父が助かってる)これは、病気や怪我にかかった人が自分に自分が矢を撃たないことが大事なのである。動物のように『痛いなぁー』(終わり)それ以上でも以下でもない。

あと、自己嫌悪の話も面白い。ドラ猫が、お腹が空いて魚屋の魚を盗んで食べた、果たしてドラ猫は自己嫌悪になるか?問題。絶対ならない。(なったら恐ろしい)

ところが、人間のメカリズム的に、「ああ、なんて自分はダメな人間なのだろう」「どうして、空腹に負けてお魚を盗んでしまったのだろう」と考える。このような思考が、『第二の矢』と言うらしい。正常な社会では、必要な機能かもしれないが、こと、病気などの時には、ダメな作用を引き起こす。

これは、TVで見たのだが、アメリカでステージ4の乳がんの女性が、どうせ近々死ぬのならと、勤めている会社(経理)のお金を年1000万ほど横領しながら、旦那には、私は長くないから自分の貯金を全て使うのと嘘をつき、毛皮、高級バッグ、ハワイのバカンスなど、お金を使いまくりながら、横領をするために会社にも行き続けた女性。

その後4年位して、捕まったのですが、アメリカの場合このようなステージ4の乳がんの人は無罪になるケースが多いらしいのだが、治療する気が無いので病院に長らく行ってなかったのです。

そしたら、スリルが刺激だったのか、ストレスなく、買い物やらバカンスざんまいが影響したのかわからないが、癌が消えてて跡形もなくなっていたのです。

無罪を当てにしてたのに、癌が消えたことで、横領の罪で数年の務所入りとなりましたが、間も無く死ぬと思ってたので、ある意味大喜びとなったらしい。

なんて、考え方や心の状態が、人間には影響するのだろうと、印象深い話でした。これは、不安な気持ちがどれだけ悪い影響を及ぼすか、逆の意味で実証したのかなぁと思う。

不安はそこそこにして、ドラ猫の気持ちがどんなだろうと思いを想像するのも、悪くないのです。真面目に傾くと、視界が狭くなる。心のコントロールで視界を広げたら、変わった景色と出会えるかもしれません。

では、また。

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