豪華客船と富士山

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わたくしは、子供のころ両親に連れられて、2回富士山の頂上まで登ったことがあります(1980・7月頃)

登山と目標達成への道のりは、よく例え話で出ます。富士山は特に高いので、高い目標(豪華客船世界1周の旅)に似ている感じがします。

目標を達成させるには、用意するものを間違えては、頂上にはたどり着かない。でも不要なものを持つ程体力にも余裕がない。ここで、今必要なものを子供ながらにかなり考えました(自分で持つのでシビアになる)

こないだもニュースで外国の方がサンダル、半そでで富士山に登る映像を観て、これは頂上無理だなぁと思った。

登りだす直前の準備も大切です。5合目で酸素が薄いことに慣らすため、せっかちな我が家族も時間を置きます。(5合目から出発だったので)

そして夜の8時に登りだすのです。頭にライトをつけて、杖をもって。朝日の時間までにノンストップで登るのが父の好きなパターンのようで。周りは次の山小屋の電気しか見えない。なので、方向はわかるのですが、距離感が分かりづらい。

距離感が分かりづらいのは、何かの目標を定めて方向さえあっていて前進してたら、以外と早くゴールに到着できた感覚に似ています。はっきりと距離が見えないが電気は見えてる。これが良さそう。

登るほど寒いし、レインコート着てても下から雨が降ってくるし(雲が下にある為)下りに景色を見たら断崖絶壁の一歩踏み外したらの場所が多々あった。(明るいところでこの足場は子供でもひるむ)

景色が見えずに、次の電気にまっしぐらが良かったわけだ。それから、何より一番大切なのは、頂上まで必ず登りたい気持ちだとわたくしは思う。登ると決めたからには腹をくくる。

リタイアがありかも、と頭がよぎらないように心をセット出来るかがミソとなる。(山小屋に泊まって下りに迎えにきて)ということも可能なわけです。

なので、自分で登ると決めたのなら、腹をくくる。頂上の景色が見たい。(頂上の景色を見た時の連想する感じ)頭の中での連想ゲームがここでは役に立つ。これをした人としない人で二つに分かれる。

それから、いつもハード目が付きまとうわたくしですが、一度目は富士宮ルート(道が急だけど距離が短い)全体的に岩場が多く、コースタイムが短い。気を付けて歩く必要がある、とネット検索でも出てきた。

今から思えば子供にこのルートを休憩なしはあり得ないような。初心者は吉田ルート。前回登ってから2年後位に『また登ろう』って父が言い出して、『今度は一番歩きやすい吉田ルートで登るから、前より楽だから』と口車にまんまとのせられ、ついて出て忘れもしない富士山が見えたころの車中。

ラジオで『富士山で落石事故がありまして、吉田ルートは救助の為封鎖』間髪いれず父は、『ここまで来てもったいないから、以前のルートでもう一度登ろう』ガビーンと漫画みたいな話で。

それでもわたくしは、車の中に残ると最後まで言っていたのを覚えています。『あの滅茶苦茶しんどい10時間登りっぱなしが、また始まるのかぁ~』と断末魔の叫びをしながら、2度目の登頂に成功したのです。

これ以降は、富士山は見るもので登るものではないと、心に刻み込みました(2度目も同じくらいの困難さ)どの程度しんどいか子供ながらにわかってるだけに、気持ちがぐれる。

登りだしたら、命がけなので、足元に神経を集中せねばの連続と疲れで、ぐれ感は忘れる。自動的に一点集中モードに。余計な事を考えられない環境を、皆さんも味わってみませんか。(どうかわたくしは、誘わないでください)

では、また。

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